前橋に引っ越してこの地が本当にクルマ社会であると実感している。建売住宅でさえクルマ3台分の駐車スペースは普通のこと、一人一台が当たり前だ。市内で信号二回待ちはまずない、商業施設などどこも広大な駐車場完備、4年間市内で駐車料金を払ったことはない。郊外の街道筋にはコストコ、イケアはじめ日本中から集積したスーパー、ホームセンター、家電量販店、ドラッグストア、郊外型レストランなどの巨大店舗が並ぶ。かつて見に行ったアメリカの郊外の風景とそん色がない。
群馬県は十字架のように高速道路が走っており、その結節点に前橋は位置するから使えるインターチェンジが多い上にどこに行くにも渋滞を考える必要がない。東西が東北道へと通じる北関東道、軽井沢・長野方面への上信越道、そして南北を貫き新潟方面と首都圏を結んでいるのが関越道、東京まで一時間ほどだ。途中圏央道に入れば中央道、東名高速へも抜けられる。
昭和60年、1985年の今日10月2日、その関越自動車道が全通した。練馬・長岡間全長245キロであった。現在は長岡から先は北陸道で新潟あるいは金沢方面にも行かれるようになっている。
3年前の昭和57年、1982年に上越新幹線が開業しているから、現在私が享受している新幹線と高速道の恩恵は今から40年ほど前にほぼ整ったことになる。
この高速交通網の整備はやはり大きな経済発展をもたらした。群馬の農畜産物の首都圏への配送や企業誘致、観光と通勤の利用者の激増なくして地方の発展はなかった。
関越道のお陰と言っていいのが、新潟県寺泊から関東へ出店を進めた角上魚類だろう。今は首都圏で店舗展開を進めて知名度も上がっているが、関東進出の先鞭をつけたのが前橋と高崎での出店だった。まさに関越道を南下する前線基地のような位置づけだったようだ。他にも群馬から全国に展開したヤマダデンキ、カインズ、新潟から展開したコメリなど関越道なくして全国展開はなかっただろうと思われるビジネスはたくさんある。
新幹線にしても高速道路にしても関東と新潟を結ぶには難所の上越国境を抜ける大トンネルの掘削が欠かせなかった。トンネル掘削技術の進歩と工事に携わった人たちの苦労があってこそ今日があることも忘れてはならない。