3月31日 日
4時起床
実は今日から夏時間 昨夜のうち、時計を1時間早めた
日本との時差は7時間、6時に昨日は明るくなっていたが 本日はまだ暗い
7時からラジオ体操だがサマータイムの関係で昨日よりは少なめ
朝食ビュッフェではおかゆとみそ汁にする
オムレツを作ってくれるルーマニア人の女性は東京江戸川に住んだこともある
日本語上手な元気のいい女性で人気
午前 ライン河をオランダへ向けてクルーズ
昨夜は終日運行していた
昨日までと比べて川幅は広くなり、タンカーや貨物船も多くすれ違うようになった。
川の流域にはドイツの工業地帯が広がっているだけに昨年の渇水による影響は大きかったという。添乗員によると今は昨年よりは改善しているもののまだ水量は少ないという。
10時半 日本茶ティータイム 京都鼓月の桜餅とお茶
オランダ ナイメーヘン
1100入港
散策 小一時間
●ナイメーヘン
オランダヘルダーラント州の街、ライン河の下流ワール川の南岸に街ができて
いる。ローマ皇帝・トラヤヌスは、この街の名前をUlpia Noviomagus Batavorumと定めた。短縮形であるNoviomagusはナイメーヘンの名前の語源となる。現在、ローマ帝国時代の遺構はほとんど残っておらず都市を囲んでいた城壁の一部分が残存している程度。ローマ帝国の衰退にともないフランク王国の統治下におかれ8世紀後半にはフランク王国のカール大帝によって王宮が置かれた。その立地より水上交通の要所として発展し、12世紀には神聖ローマ皇帝・フリードリッヒ1世が軍事拠点を置いた。
1230年フリードリッヒ2世よって都市権が認められ、帝国自由都市となった。
1364年にはハンザ同盟にも加盟したほか、イングランドから羊毛を輸入して毛織物工業の振興も図られた。
1568年に勃発した八十年戦争では、ナイメーヘンもユトレヒト条約に参加して独立戦争を戦い抜きオランダの一部として独立を果たした。フランス王ルイ14世が領土的野心より仏蘭戦争をおこしこの際の講和条約はナイメーヘンで締結された。
イースターの休みで町は静か、大聖堂はミサの最中で中に入るのは遠慮した。
石畳の街並み、静かな日曜日の散歩だった。