西村晃の伝言板
2025-03-18
インド政府は先日スズキを長年率い昨年94歳で死去した鈴木修さんに卓越した貢献をたたえる国家勲章「パドマ・ビブシャン」を授与すると発表した。死去の知らせにすぐに弔意を表したのはモディ首相だった。マルチ・スズキ・インディア、通称「マルチ・スズキ」は、日本の自動車メーカー、スズキのインドにおける乗用車の生産と販売子会社である。。インド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ」として1981年2月に設立され、インドを含む南アジアで最大の自動車会社となっている。2002年5月には出資比率を引き上げたスズキが子会社化した。70年代インドでは環境も整わずデザインにも劣る自動車が高コストで作られていた。1981年2月インド政府は国民車構想の合弁相手を探していた。それに応じたのが鈴木自動車工業(現スズキ)だった。1982年、インド政府一行が合弁候補との交渉のため来日、日本の自動車メーカーを回ったが、当時日本の自動車メーカーの海外進出はアメリカ中心で、トップが最初から最後まで応対したのは唯一鈴木自動車工業の鈴木修社長だけだった。1982年10月インド政府は鈴木自動車工業と契約を結ぶ。鈴木自動車工業がインドへの投資を決断したことは当時異例中の異例であり、失敗による経営危機も危惧された。1983年生産第一号車マルチ・800(日本の軽自動車スズキ・アルトがベースの 800 cc 車)の生産を開始、マルチ・800 はその低価格により爆発的な人気となり80年代のインド国内小型車市場を独占した。
21世紀に入り インド国民の平均所得が向上するとともに生産台数も急増、インド工場からアルトの欧州輸出も開始された。
2007年度には スズキのインドでの新車販売台数が初めて日本国内を上回った。2022年までのインドでの 累計生産台数は2500万台を超えている。
ピーク時7割を超えていたインドでのスズキのシェアは韓国勢の追い上げで減りつつも、なお5割近い。実際街を走るクルマの半分近くはスズキである。17億人と言われるインドの民の所得が向上していけば、自転車、オートバイ、そしてまずは価格の安い軽自動車から手に入れたいと思うだろう。オートバイと軽自動車を手掛けるスズキのインドでの発展はもちろんのこと、ほかの途上国モデルとしても大いに期待がかかる。
今年秋の私の研修セミナーではスズキの現地工場見学の予定している。