ふと考えた。
新聞購読者数のひどい落ち込みである。
宅配も激減しているが、実は駅売りはもっとひどい。
すでに大都市でも、夕刊の販売を駅の売店等で行わなくなっている。
ニュースを新聞でいち早く知ったという人はもはやいないだろう。
テレビラジオよりもネットなどが速報性では上回る。
そのテレビラジオさえも、もはやメディアの主役から降りようとしている。
若い層ほど、新聞はおろかテレビさえ見ない。そもそも受像機を持たないという人も
珍しくなくなった。
なにしろサッカーも野球もテレビ放送さえ予定されないという時代である。
それなのに・・・。
国民にあまねく受信料を求めるという制度がいつまで成り立つのだろうか、と思う。
そもそも受信料制度が始まった時代は、国民にラジオ、のちにテレビをあまねく視聴できる環境整備をすることが目的だった。
視聴率が90パーセント近いなどというお化け番組があった時代はもはや過去のものだ。
スマホやカーナビでもテレビ放送を受信できれば受信料を払わなければならない、と制度を拡大解釈しようとしてもそれはどう考えても理屈に合わないし、国民の納得を得られるものでもない。
個人的にはNHKと民放と両方で働き、NHKの良さも十分に理解している。
しかしその組織から離れて久しくなり、客観的に考えてもやはり受信料制度の将来にわたる維持は無理があると思う。
それはここ数年のネットの普及により決定づけられた。
書籍雑誌が衰退し、新聞も役割を減らし、ついには放送メディアも見直しの時期に来たということだ。
どんなものでも時代に合わなくなるということは起きうることである。
私たちは生きている間にマスメディアの栄枯盛衰に立ち会うことになっただけなのかもしれない。
テレビの隆盛期に育ち、そこで働いた時代を我ながら懐かしく思う。
そして20年後にこの世界に入らなくてよかったとも思う。
時代は巡る。