【西村晃の大繁盛の法則】 企業塾 - 顧客満足度No.1


西村晃の伝言板

2022-10-14

<<前の記事 次の記事>>

鉄道150年に想う

鉄道150年に思う



明治5年の鉄道開業から10月14日で150年を迎えるということで、様々なイベントが企画されている。

「汐留ですから電通が絡んでいるんですよ」などと、どこぞのコメンテーターのようなことは言うまいぞ。

皮肉なことにその祝うべき年に奇しくも日本の鉄道は衰退過程に入ったようだ。

コロナ禍により在宅勤務の普及で通勤電車利用の減少、ビジネス需要に加えて観光も元には戻らず、減便も拡大している。また人口減少もありローカル線の維持も厳しい状況だ。

鉄道部門の人員をほかの不動産や商業分野へ転換する動きも急で、鉄道各社に華やいだ雰囲気はない。

私は中学生の時から20年かけて旧国鉄全線完乗した。その大半の時期は国鉄で車両も古くサービスも良いとは言い難い面もあった。しかしあの頃の国鉄には国を支えているという自負心があふれていたように思う。戦後の混乱期から復興、高度成長を支えたのが鉄道だった。復員、買い出しの時代から集団就職、修学旅行まで。

「恋人よ僕は旅立つ東へと向かう列車で」、「明日の今頃は僕は汽車の中」「いい日旅立ち」「花嫁は夜汽車に乗って」、人生の節目に鉄道があった。

中学生は宿には泊まりにくいので旅はひたすら夜行列車だった。国鉄のワイド周遊券は北海道内、九州内は急行も乗り放題だったから、北部九州を観光して夜汽車に乗り翌日は南部九州へ、札幌から夜汽車に乗って函館へ、などと活用すれば列車ホテルで夜を過ごせたのである。早く着く新幹線よりはるかに急行や夜行列車のほうが楽しかった。時刻表をぼろぼろになるまで読みこなしたものである。そうした若いころの経験がどれだけ後に役に立ったか計り知れない。



あああれから40年。

JRに代わり東日本の社員は西日本のことなどわからず、九州の社員は北海道のことなど知る由もない。

私が研修の教官をしていた「みどりの窓口」は閉鎖により担当社員は配置転換、寝台列車はほぼ全滅、ブルートレインという言葉自体が死語となる。

食堂車など知らない人ばかりになり、周遊券など説明してもピンとこなくなってきた。

時刻表マニアなどいまやスマホ検索時代に絶滅危惧種となり、鉄道自体が今や衰退過程に入ったわけだ。

次の節目の200年のころ、鉄道は生き残っているかと心配になる。