今から半世紀前、千葉県松戸市に在任中無給で通した市長がいた。
松本清という。
市長になる前に家業の薬局の屋号を変更していた、「マツモトキヨシ」。
知名度抜群の市長はアイデアの人でもあった。
在職中に全国に先駆けて作った「すぐやる課」は令和元年に50周年を迎えた。
「市役所は『市民に役立つ・役に立つ人がいる所』」をモットーに、お役所仕事の打破と市民サービスの向上を目的とした。職員は、元自衛官で課長の臼井銀次郎と課員1名。初仕事は「市職員として剣道大会に出場中の父親に連絡を緊急に取りたい」という家族のため臼井自身が大会会場へ走ったこと。2日目には市民から44件もの要望が入ったため、急遽3名を増員して課長ほか4名態勢となる。現在は9人で蜂の巣駆除などに走り回っている。
従来の地方行政では、緊急に対応が求められる事態に対しても、縦割りの弊害から係・課・部・助役と何重もの決裁が必要で、すぐには対応ができなかった。そこで松本は「すぐやる課」を松戸市長直属の部局とすることにより機動性を確保した。
「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものはすぐにやります」
この思想は日本各地の首長に支持され、全国に同様の組織がつくられた。
知らない人が多くなった「マツキヨ」の知られざる原点である。