中島みゆきの「地上の星」をテーマソングとする「プロジェクトX」という人気番組がかつてあった。昭和の時代にモノつくりやビッグプロジェクトを成し遂げた人たちの物語だった。
新幹線や乗用車の開発と同じように国産プロペラ機「YS11」を作った男たちの奮闘記も視聴者の心を打つ話であった。戦後日本はアメリカから、軍需につながる恐れがある飛行機製造を禁じられてきた。日本の名戦闘機ゼロ戦に悩まされたアメリカの方針であったが、技術の伝承ができないと将来にわたり産業は復活しない。粘り強い交渉のもとにようやくプロぺラ機に限って開発製造が認められた。しかし、苦闘の末誕生した「YS11」は、マーケティング力の不足もあり世界に羽ばたくことはなく、時代は大型ジェット機の時代に移行していた。
欧米勢のジェット旅客機が世界を飛び回る中、ようやくジェット機開発が許される状況になって日本の航空機産業が注力をしてきたのが「三菱スペースジェット」だった。
しかし技術の蓄積がなく悪戦苦闘が続く。度重なる設計変更や、テスト飛行の延期などが続いた。その間も乗客数100人あまりというコンパクトな設計は大型機だけでなく短距離
多頻度運航を求める今後のニーズの先取りと評価をうけ、就航前に200機以上の予約をとるという期待にあふれるものだった。
しかしながら、新型コロナウィルスの拡大による需要の落ち込みなど、気が付けば環境は激変、ついに開発断念の発表となる。
航空機産業はすそ野が広いだけに、自動車に次ぐ日本の輸出産業の柱にもなりえるという期待は幻となった。
これまでつぎ込んだ資金と時間と労力をもう活かすことはできないのか。
心残りは私だけではあるまい。