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いまこそ近江商人に学べ



<近江商人>

構造的な経営不振に加えて、コロナ禍による営業自粛もあり、全国の百貨店は存亡の危機に立たされているが、福島駅前にある百貨店「中合」も閉店を決めた。
「中合」と書いて「なかごう」と読むが由来は中村合名会社による。
元をたどれば近江商人の中村治朗兵衛家で、近江麻布の製織と行商で巨万の富を成した名家が創業、福島で146年の歴史を刻むという老舗だった。
私にとっては、大学を出て初めて赴任した福島で、先輩たちから「福島の人たちのシンボルのような店だ」と教えられたのをよく覚えている。

福島市にある中合百貨店


それにしても滋賀県の近江商人が東北の福島に進出していたということに驚く人もいるに違いない。
今日はその近江商人について考えてみたい。

近江商人とは琵琶湖周辺の地域から生まれた商人の総称だ。
琵琶湖の水運、東海道と北國街道が交差する交通の要衝、敦賀港などを利用して北前船までも利用したというから商圏は日本国中に及んでいた。
またこの地出身の蒲生氏郷が豊臣時代に伊勢松阪の城主となり、近江商人の多くも彼の地に移ったことから伊勢松阪の商業が一大発展した。
江戸時代に日本橋に進出し越後屋を興した三井高利もその一人で、三井家創業の地は松阪にある。
ちなみに蒲生氏郷はその後会津地方に国替えとなり、この地でも醸造や漆器などの産業を奨励して名君と言われた。
これも近江と福島のつながりといえる。

五箇荘(東近江市)には近江商人屋敷の一角が残る


近江商人博物館(東近江市)


さて、近江発祥のビジネスがその後全国に広がった例は三井家だけではない。
西武、高島屋、イオン、丸紅、伊藤忠、住友、トーメン、トヨタ、西川、野村證券・・・。近江出身の経営者がその後全国、全世界へと羽ばたいたことを改めて感じる。
近江商人は織物を中心に商っていたとされるがそればかりではないようだ。
天秤棒を担いで全国を行脚し、それぞれの地域の情報を集めていた。

近江商人は天秤棒を担いで全国を行脚した


「あちらでは飢饉、こちらではコメが余っている」
こうした情報を集めて余っているところの商品を困っているところに流通させる。
つまり情報こそビジネスということをよく理解していたのだと思う。
近江商人をルーツとする総合商社が多いのもそこに原点があるからではないだろうか。

近江商人のモットーは「三方よし」。
売り手よし、買い手よし、世間よしという意味だ。
需要と供給をうまく仲介することで自らも利益を上げるが、何よりもそのことが社会全体にも喜ばれるということである。

いま世界はコロナ禍により国境を閉ざす動きが顕著だ。
それどころか国の中で県境をまたいでの観光客の流入さえ及び腰である。
一方でオンラインの急速な普及により出社や出張をしなくても会議を開いたり情報収集ができるような体制つくりが急がれている。
好むと好まざるとにかかわらず社会変革のスピードは加速する。

商人屋敷に掲げられた戒め


近江商人勘定場


新しい時代は、一つの資源を持っているとか、大きな製造業を抱えているということが必ずしも強みではなくなるだろう。
だぶついた石油に頭を抱えている産油国などはその例である。
またたとえば中国一国に生産と消費を依存するような経済構造にも今後は見直しの動きがみられるだろう。
そうなれば世界中に情報網を張り巡らせ、需要と供給を結びつける「三方よし」の戦略を持った国や企業が生き残るということだ。

残念ながら近江商人の系譜をもつ「中合」は歴史を閉じることになった。
かつては一世を風靡した百貨店という業態がこの時代に生き残れるビジネスモデルではなくなりつつあることを示しているのかもしれない。
また先に挙げた近江由来企業の中にもいま淘汰や再編の荒波と戦っている企業は多い。
末裔たちが、新しい時代に合ったどんなビジネスに挑戦するか注目したい。