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家具不況をものともせず、元気印企業「関家具」

福岡県大川市は家具生産で知られるが 構造不況で元気がない。
そんな中にあって、一人気を吐くのが「関家具」だ。
柔軟発想で、生産を国内外に委託し自らはデザイン提案企業として生き残る。

関家具

福岡県大川市は家具の町として知られる。
筑後川の水運を生かし、上流の大分県の日田からスギやヒノキを筏に組んで流し、それを利用した木工家具産業がここ大川で育った。
しかし、近年家具産業は需要低迷で厳しい経営を迫られている会社が多く、最盛期1200ほどあったと言われる工場も今では半減、販売店の閉鎖も目立っている。
そうした中にあって、地元で自他ともに絶好調と認める「元気印、家具会社」が、「関家具」である。

創業者の関文彦さんは68歳。
いまでも精力的に世界中を駆け回っている。
トレードマークは黒いシャツに黒いジャケット、赤いネクタイ。
「もともと黒と赤と白は家具にとって基本色というところから、3年ほど前からどこに行くにもこの格好をするようになりました。まあ目立とうということですがね」と茶目っ気たっぷりに笑う。
関さんの父親は、もともと大川の木工職人だった。
「私もこどものころからモノ作りは好きでしたが、自分が作っていたのではどうしても限界がある。大川には当時たくさんの工場がありましたから、他の人が作ったものを仕入れて自分は販売したほうが大きな商売になると考え、問屋業になろうと決断したんです」
その判断は間違っていなかった。

「他の人がつくったもの」の範囲はどんどん拡大し、日本中、そしていまはアジア、ヨーロッパ、と世界中の人がつくったものを販売するというように広がっていった。
いま大川市にある関家具のビルの中にある「家具博物館」のガラスケースの中には、父親が愛用していたノミやカンナなどが展示されている。
言い換えればそうした道具を博物館の中に封印したところに関家具のその後の発展があったということかもしれない。

もうひとつ決断があった。
それは自らの小売り業は限定的にとどめるという決断だ。
関家具は現在大川市内では店舗を増やしている。
近隣で工場や店を廃業した人から建物を譲り受け、若い従業員たちの感性を生かした新しいスタイルの家具店に挑戦しているからだ。
しかし、事業が上げ潮になれば普通なら九州、あるいは全国展開と、多店舗戦略を考える経営者が多い中にあって、関さんはけっして自前の店の数を増やそうとはしない。
「いま北は北海道紋別から石垣島まで2500の店でうちの商品を売っていただいています。自分で店を作るのは費用もかかるし、当たり外れも出てくる。あるいは繁盛していても、人の流れがかわって売れなくなることだってある。だからうちは、その時々の旬のお店にたくさん売っていただく方がいいと判断したんです」
こうして関家具は自ら企画デザインをした商品を生産してもらったり、世界中から商品を仕入れることにより、それを日本中に売りさばく問屋業を主たるビジネスとして大きく成長した。
年商80億円、従業員はおよそ180人、全国からデザインなどを勉強した大卒の若者が就職で大川に来てくれるようになった。

いま関さんはこんな夢を持つ。
福岡市はじめ近隣から多くの人に週末などを利用して大川に遊びに来てもらいたい。そのために大川をいわば家具のテーマパークのような町にしたいということだ。
「コンサートや芝居、祭りなど集客のイベントを催し、家族やカップルにのんびりと楽しい時間を過ごしてもらう。私が作った家具の博物館ももっと規模を拡大し皆さんにご覧いただく。大川名物の鰻や地元だけしか獲れない魚、えつを味わっていただく。こうして大川の家具を見る機会を増やしていくことが再び家具の街の人気を高めることにつながると思います」
関さんの夢は広がるばかりだ。

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