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明太子のパイオニア「ふくや」
いまなお新しい味覚へ挑戦!

福岡みやげ人気ナンバー1の明太子を戦後つくり、仲間たちと広めてきた「ふくや」
味覚の変化や、嗜好の多様化を踏まえてビジネスの領域を広げている。

ふくや

昭和24年。
博多の町はまだまだ戦後の復興の途上で、食べるものに困る人も多かった。
町の中心部にある中洲市場で食料品店を営んでいた川原俊夫さんは、スケソウダラの卵を唐辛子を配合した調味液で味付けして「味の明太子」と名付けて販売したところ、ヒット商品となった。
川原さんはそれを自分の店だけのものとせず、周囲の同業者にも製法を開示した。「困っているのはみんな同じ。一緒に売ればいいじゃないか」
これにより、以後明太子は福岡の名物として地元はもちろん全国へと広まっていった。
川原さんが創業した「ふくや」が博多商業のリーダー的な位置づけを持ったのは、まさにこの明太子の歴史の草創期からだった。
いま、福岡の代表的な産業として、「ふくや」の工場を見学する社会科見学の子供たちや観光客は多い。
生産ラインを見学し、「ふくや」のスタッフたちが行っている味覚を調べる感応検査を体験したり、明太子の漬け込みも行うなど地元の代表的特産品の理解を深めることができる。
知名度が高い「ふくや」は、全国からのギフト注文が多いが、明太子など自社商品だけでなく、銘菓や酒・焼酎あるいは海産物など他の福岡・九州の特産品との詰め合わせたセット商品の販売にも力を入れている。
ここにも自分の商品だけでなく九州の商品全体の販売を伸ばしたいという「ふくや」の哲学がうかがえる。

第三セクターの経営だったが、不振になった博多の「福岡サンパレス」の再建の担い手として依頼を受けたのも「ふくや」だった。
創業者一族の川原武浩氏が、サンパレス社長として再建にあたり、およそ3年かけて道筋をつけた。
実は川原氏は、片手間仕事でホテル再建に取り組んだわけではない。
ホテルで学んだ多くのことを「ふくや」の中にも取り入れたのだ。
中洲で始めた「ufu」というケーキ店もその一つ。
「辛い明太子屋だからこそ甘いものにも挑戦してみたかったのです。当社のお得意様が高齢化していることから、もっと若い世代にも支持を広げたいという思いもありました」
川原さんはこう語る。
「ufu」は中州のネオンに灯りがともる午後5時に開店、シャンパンや焼酎を加えた大人向けケーキもそろえる。クラブのホステスさんへ、あるいは家庭へのお土産用といった需要を引き出した。また全長55.5センチの中洲ロールといった話題の商品を次々にヒットさせている。

ホテルのレストランシェフやパティシエと縁ができたことで川原さんのアイデアもずいぶんと広がったようだ。
レトルトの牛タンカレーやシチューといった商品も生まれた。
「明太子の製造販売が基本ですが、お客様のニーズを探り進化をつづけていかなければなりません。すでに明太子も和食のごはんのおかずだけではなくパスタの具材やフランスパンのトッピングなど幅広く応用されています。当社が販売を開始したハバネロ明太子やオーリオ明太子もそんな洋食向けの挑戦です」

戦後、仲間たちの先頭にたって新商品明太子を世に広めた「ふくや」。その進取の気性はいまも健在だ。

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