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テーマ別企業紹介

函館地場の折箱などパッケージ会社、北海道開拓の歴史以来の老舗「梅田」はいまなお提案で進化中

函館駅開業の頃より、駅弁の折箱や、魚のトレイなど地元のニーズに応えてきた「梅田」は、総合パッケージ産業として21世紀飛躍を期す。
地元のニーズを知る企業は、全国区の会社にはないきめ細かな提案が信条である。

梅田株式会社

北海道開拓の歴史は明治になってから本格化する。
旧幕府軍の五稜郭戦争の後、明治4年開拓使庁が発足した。
札幌農学校の初代教頭、クラーク博士が「少年よ 大志をいだけ」という言葉を残したのが1894年、明治26年とされる。
函館においては、1905年、明治35年に函館駅が開業。
また青函連絡船の開業は、1908年、明治41年のことである。

それに先立つ1904年明治34年、日露戦争が始まったこの年に函館駅や港にほど近い一角に現在までつづくビジネスが誕生していた。
折箱製造業。
駅弁などの当時の新しいニーズをにらみ、初代梅田熊次郎が創業した。
これがいまに続く「梅田株式会社」の発祥である。

函館駅の駅弁、寿司、仕出し屋向けに販売し、たちまち成長する。
以後、昭和中期まで市場の拡大は続き、従弟制度を取り入れて弟子の年季が 明けると「のれん分け」と称して得意先をつけて独立させてきた。
その後折箱の需要が減り始め、取扱商品はプラスチック容器へと主力を移し、いまでは包装資材全般を扱うようになっている。
「函館の地域密着でやってきましたが、地方都市でもやはり時代の流れをうけてしまいます。昭和50年頃から函館にもスーパーマーケットが進出し始め、イトーヨーカドー、長崎屋、西友ストアー、そして地元スーパーへとプラスティックトレイなどの資材納入が始まりました。一見順調に伸びてゆきそうでしたが、思わぬ災難にぶつかります。平成に入り全国チェーンのスーパーが次々に物流の合理化を打ち出し、北海道全域の納入を札幌から行うことになってしまったのです。これでは函館の資材をつかってもらえません。これで一時売上げが6割もダウンしてしまいました」
梅田浩尚社長はこう話す。
これに懲りた梅田では、一業種に売上げが偏らないようにと、得意先、扱い商品を広げてきた。現在は食品加工工場、外食産業、コンビ二向けにも包装資材・製造設備・厨房機器・販促用品などを製造販売している。


梅田さんは父親から後を継いで以来、原点にかえり、問屋としての自社を見つめ直す作業を社員全員と取り組んでいる。
「お客様が必要なものを、必要なときに欠品することなく届けているか、要望にどれだけ対応し、それ以上の提案ができているか。倉庫のレイアウト、メーカーへの発注方法、営業・配送・事務の仕事の進め方を検討していく中で、効率ばかりに重点を置き、本来問屋が持っているべき御用聞きといったものが疎かになっているのではないかと思い、お客様の悩みを自社の営業品目に関係なく聞くという営業に重点を置いてきました。その結果、扱い品目や取引先が増え、売上げにもいい影響がでてきました。今後も提案を付加した御用聞き営業に磨きをかけ、これを会社のウリとして大手の物流システムに対抗していきます」

梅田では「イレクター」と呼ばれる、表面がプラスチックで覆われたスチールパイプとジョイントにより創られた多種、多様な構造体で、作業台や棚、台車などを組み立て納品する仕事を得意としている。
これは従来の木製、ステンレス製などに比べて軽量、安価、アイデア次第で様々な形状が出来、しかも部分修理が可能、表面がプラスチックなので錆びに強く清潔といった特徴がある。
「この特徴を生かし身近なところの改善、工場内の工程間の物流改善を提案していこうと思います。受注産業から提案産業に変わっていけるかが私たちの会社の課題です」

穏やかな梅田さんだがこの時ばかりは、言葉に力がこもっていた。

梅田株式会社に関してのお問い合わせ
TEL:0138-23-5145